高分解能質量分析計のための自動ドリフト補正

高分解能質量分析計のための自動ドリフト補正

Viatcheslav Artaev | Jonathan Jaloszynski


始めに

高分解能質量分析計にとって最も重要なことは、マススペクトル中イオンの質量電荷比(m/z)を正確に記録することです。充分な質量精度により元素組成を導くことで、分析対象物の同定をさらに進めることが可能となります。図1は、特定のサンプルと装置において、質量精度と導かれる元素組成数の関係を示しています。 質量精度が良いほど可能性のある元素組成数は少なく、分析対象物の絞り込みが可能となることは明白です。

図1. 質量精度(x軸 ppm)と元素組成候補数(y軸)の関係例︓m/z=276.09327、構成元素 C H O N S P、
それぞれの元素数範囲 C=1-30, H=1-30, O=0-8, N=0-5, S=0-4, P=0-2

質量精度の算出

質量精度は通常、ミリダルトン(mDa) あるいは百万分率 (ppm)を単位として示し、それぞれ以下の数式を用いて算出します︓
MA=(Mm – Mt)*1000, [mDa] (1)
MA=((Mm – Mt)/Mt)*106, [ppm] (2)
Mm イオンのm/zの実測値     Mt 元素組成から計算した理論値

図2に示したbenzo(ghi)peryleneのマススペクトル中、分子イオンのm/z実測値Mmは276.09327です。そのイオンC22H12+の理論値Mtは276.09335です。よって上記数式(1)、(2)を用いた質量精度はそれぞれ-0.08 mDa および -0.29 ppmとなります。

 

図2. Pegasus GC-HRT+で測定したbenzo(ghi)perylene (C22H11)のマススペクトル

質量誤差の原因

質量誤差が生じるにはいくつかの原因があります: 質量分解能、質量校正の誤差、サンプル内およびサンプル間のイオン飛行時間(TOF)のドリフト、飽和によるイオンピークのずれ、強度の弱いイオンにおいて統計が不十分であるために増加する不確実性などです。
このホワイトペーパーでは自動ドリフト補正を用いた質量精度の向上に焦点をあて、説明します。

質量校正の手順

高い質量精度を達成する最初のステップは正しい質量校正を行うことです。質量校正は校正用化合物であるPerfluotributylamine (PFTBA, C12F27N, 図 3)の既知イオンを用いて行います。PFTBAの既知イオンのm/zと飛行時間(TOF)のペアは、二次多項式関数で近似され、質量校正関数であるC0、 C1 および C2が定義されます(図 4)。

 

図 3. Pegasus GC-HRT+で測定したPFTBAのEIマススペクトル

 

図 4. PFTBAイオンのm/zと飛行時間(TOF)をプロットし、二次多項式関数で近似して質量校正係数を算出

 

 

外部質量校正は測定開始前に自動質量校正ルーチンとして実行することができます。質量校正係数は使用するMSメソッドとともに保存され、測定中にイオンの飛行時間を自動的にm/zに変換します。

内部質量校正はすでに取り込んだデータについて解析ルーチンの一部として行うことができます。PFTBAはもちろん、バックグランドやカラムブリードなどのイオンもm/zが既知であればイオンも質量校正に使用することが可能です。
標準的な(外部または内部)質量校正結果は質量校正テーブルビューに表示されます(表1)。

表1. 質量校正テーブル:すべての校正用および確認用イオンが1 ppmよりはるかに良い精度で報告されています

質量校正ルーチンは一定時間積算されたマススペクトルに対して実行されます。質量校正係数は一定時間中の飛行時間変動はほとんど無いとみなし、平均値から計算されます。しかしながら何らかの理由で飛行時間が大幅に変化している場合(例えば質量分析部の電気的または物理的変化により飛行時間が数ナノ秒ドリフト)、標準の質量校正では充分な質量精度(<1 ppm)を得ることはできません。
この問題に対処するため、データ処理ルーチンに飛行時間修正(TOF Correction)オプションが組み込まれており、すでに取り込み済のデータについても適用できます。このルーチンではロックマス補正が各スペクトルで実行され、質量校正係数がデータとともに保存されます。

自動ドリフト補正

ChromaTOFソフトウェアはデータ取得中にリアルタイムで飛行時間補正を行う機能、自動ドリフト補正(Automatic Drift Correction, ADC)を備えています(1)。このルーチンはマススペクトル中に常に存在するイオン – バックグランド、PFTBAおよび分析サンプル中既知化合物のイオンなど、通常サンプルとともに導入されるイオンに依存します。ADCはPegasus GC-HRT+で得られる比類の無い質量精度にとって非常に重要な機能です(図5)。リアルタイムのADCではChromaTOFソフトウェアが以下の手順を実行します:

  • 検出したイオンのm/zリストをリアルタイムに作成します
  • ADCに使用するには不適切と考えられるイオン、例えば飽和あるいは強度の弱すぎるイオンや、m/zが小さすぎるイオンなどを除きます
  • ADCに使用可能と考えられるイオンの安定性を一定時間(例えば15スペクトル取得など)評価し、m/z面積とピーク幅の変動が許容範囲であることを確認します
  • 上記のイオンのm/zリストを 参照スペクトルとみなします
  • 一定時間経過後、新しい参照スペクトルが作成され、ソフトウェアは取得中のイオンのm/zを補正するペアを参照スペクトルから探します
     – ADC は可能な範囲から最適なペアを優先的に選択します
     – ADC は計算に最大30ペアを使用します
  • オンピークの各ペア(参照イオンと取得中イオン)よりドリフト補正のスロープを作成しますが、これらスロープは面積のロバスト加重平均により計算されます
  • 結果の平均がドリフト補正係数です
  • このドリフト補正係数に元のスペクトルの飛行時間が乗算され、補正された飛行時間が得られます

新しい参照スペクトルの作成時、その前に使用していた参照スペクトルを用いて補正が行われます。その結果一定時間内のドリフトだけでなく、分析を通してドリフトが補正されます。

図5. データ取得30分間のm/z 218.98501 (PFTBAのフラグメントイオン, C4F9+)における質量精度の変動
   上段:ADCオフ  下段:ADCオン

自動ドリフト補正によって得られた質量精度向上例

ADC機能を装備することの重要性は、次の2つの例からもわかります。

例1

図6にテスト混合物のTICとm/z 276 のマスクロマトグラムを示します。 Benzo[ghi]perylene (C22H12, m/z 276.093352) は混合物の1成分です。データはADCオンおよびオフの状態で取り込まれ、PFTBAのフラグメントイオンm/z 218.985080の質量精度を図7にプロットしました。PFTBAはサンプル分析中、常にイオンソースに導入しました。ADCをオンにして収集したデータを使用した場合、ChromaTOFソフトウェアの自動ピーク検出手順により、0.04 ppm以内の質量精度が得られ、正しい元素組成を導くことができました。ADCをオフにして再分析した場合、正しい元素組成は得られませんでした。N4,N4-dimethyl-2-(phenylsulfonyl)-1,4-benzenediamine (C14H16N2O2S, m/z=276.092700)が0.88 ppmの質量誤差で1位になり、正しい答えであるBenzo[ghi]peryleneは -3.24 ppmの質量誤差でした (図8).
ADCによって質量誤差が大幅に低減し、分析対象物の正しい解析に有用であることがわかります。

図6. テスト混合物のクロマトグラム: TIC – オレンジ, m/z=276.0934 –グリーン

 

図7. テスト混合物分析中のPFTBA フラグメントイオン C4F9+質量精度
上段:ADCオン  下段:ADCオフ

図8. 組成式計算における自動解析結果:
左:ADCオンで正解  右:ADCオフで誤り

例2

Pegasus GC-HRT+のハードウェアは、たとえADCが無くても多くの場合高い質量精度を得られるため、他メーカーの高分解能TOF-MSと比較して充分と考えられるかもしれません。しかしながら高い質量誤差は、自動解析結果に対するユーザーの信頼性を著しく低減します。図9はテスト混合物のTICとそこに含まれるacenaphtylene (C12H8)の分子イオン、m/z 152.0620のマスクロマトグラムの重ね書きです。図10に示すように質量量精度の許容範囲を5 ppmに設定すれば、ADCオンおよびADCオフのどちらでも正しい答えであるacenaphtyleneがヒットします。しかしながら許容範囲を複雑な混合物分析で推奨される2 ppmに狭めた場合、 自動解析では正解が候補にすら入りません。高い質量精度をもって分析対象物の解析指標にすることは、高分解能質量分析計を使用する一番の利点なのです。

図9. テスト混合物のクロマトグラム: TIC – オレンジ, m/z=152.0620 –グリーン

図10. 組成式計算における自動解析結果:
左:ADCオンで-0.36 ppm 右:ADCオフで-4.05 ppm

まとめ

自動ドリフト補正(ADC)ルーチンはPegasus® GC-HRT+の操作中、常にリアルタイムで実行されています。ADCによって質量精度が大幅に向上し、未知化合物の自動解析における結果の信頼性が向上します。

参考文献

[1] US Patent 9153424