緒言
現在までに、文化財をはじめとした多くの考古遺物や美術工芸品に対して保存や修復が繰り返し行われてきた。保存修復作業には、古くから接着を主な目的として膠を代表とする天然素材が使用されてきたが高い安定性と扱いやすさから、1950年代頃から合成樹脂が広く用いられるようになった。最も多く用いられる合成樹脂として、アクリル系樹脂であるParaloid™ B-72とアクリルエマルジョンであるPrimal™ AC 2235が挙げられ、両者ともに過去に保存修復作業後に劣化等による美観の低下や対象物を傷めてしまったという例はほとんど報告されていない。しかし今後の適応拡大による様々な環境下での使用や経年による劣化による不具合が発生する可能性は否定できず、そのため、劣化による状態や変化を把握し合成樹脂の劣化機構を究明することは必要不可欠である。本研究では、昨年に引き続きParaloid B-72を用いて、ダブルショット法による熱脱着/熱分解GC-TOFMSおよびMALDI-TOFMSによる劣化機構解明のための検討を行った。
前処理と実験
試料として、アクリル酸メチルとメタクリル酸エチルのコポリマーであるParaloid B-72を5wt%濃度でアセトンに溶解し、溶剤キャスト法による成膜を行った。常温常圧下で一週間乾燥後、剥離し更に一週間常温真空下にて保存した膜に対し、紫外線照射し劣化度の異なる試料を作成した。
分析条件
約0.05 mgの試料を60℃-20℃/分-300℃の条件で熱脱着、550℃瞬間熱分解を行いGCxGC (Pegasus4D:LECO Fig.1) および高分解能GC-TOFMS (Pegasus GC-HRT:LECO) に導入した。
GCxGC & HR-GC-TOFMS Analytical Condition | |
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Injection | Multi-Shot Pyrolyzer (EGA/PY-3030D) |
Inject Volume | 0.05 mg |
Inlet Mode | Split: 1/100 |
Inlet Temperature | 300℃ |
Carrier Gas | Helium, 1.2 mL/min |
1st Column | DB-1MS, 30 m x 0.25 mm I.D. x 0.25 µm df |
2nd Column (GCxGC) | DB-17MS, 1.3 m x 0.10 mm I.D. x 0.10 µm df |
1st Oven | 50℃ (0.2min) → 10℃/min → 310℃ (5 min) |
2nd Oven (GCxGC) | +5℃ offset from 1st Oven |
Transfer Temperature | 300℃ |
Source Mode | EI (GCxGC-TOF), EI & CI (HR-GCTOF) |
Source Temperature | 250℃ |
Acquisition Rate | 150 spectra/sec. (GCxGC-TOF), 5 spectra/sec.(HR-GCTOF) |
Resolution Mode | Nominal (GCxGC-TOF), 25,000 FWHM (HR-GCTOF) |
Stored Mass Range | 35 to 600 u |
Calibration Sample | PFTBA |
Data Processing | Software | ChromaTOF |
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Peak Finding | LECO True Signal Deconvolution |
Library | Wiley10, NIST14 |
表1:GCxGCおよびGC-TOFMS測定条件
GCxGC-TOFMS分析による包括的なキャラクタリゼーション
図1:GCxGC System
図2:1次元と2次元クロマトグラムの比較
GCxGCの高分離能により、劣化により増加した化合物として、解重合反応が進むことで生成される炭素-炭素間の二重結合や二重結合に酸素が付加することで生成されるカルボニル基を持つ化合物が確認できた。この結果は、FT-IR測定によるC=C結合およびC-O-C結合の値とも良く一致していた。
図3:GCxGCクロマトグラムと劣化により変化した化合物
図4:ATR-FT/IR 分析結果
高分解能GC-TOFMS分析による未知化合物の同定
図5:未使用品と劣化品のTIC
劣化により変化した化合物について高分解能GC-TOFMS測定を行い、それぞれのイオンの組成式を算出した。
図6:劣化により減少した▼ピークの精密質量マススペクトルと各イオンの組成式
高分解能GC-TOFMS/Pegasus HRT⁺によるEIおよびCI分析から、分子イオンおよびフラグメントイオンの組成式、ニュートラルロス情報を特定することで、劣化により減少した化合物はMAとライマーであると推定することが可能だった。同様のフローで他の熱分解生成物についても帰属を行った。
図7:劣化により減少した未知化合物の推定構造式
図8:熱分解生成物の構造推定による帰属
精密質量測定により、主な熱分解生成物の帰属が可能だった。
更に、劣化により生成した未知化合物についても高分解能GC-TOFMSによる同定を試みた。
図9:劣化により生成した未知化合物▼の精密質量マススペクトルと各イオンの組成式
高分解能GC-TOFMS/Pegasus HRT⁺の1 ppm以内の正確な質量精度による各イオンの組成式の決定から、劣化により生成した未知化合物の構造を右図のように推定することが可能だった。
図10:劣化により生成した未知化合物の推定構造式
MALDI-TOFMS測定
マトリックス試薬としてTrans-2-[3-(4-tert-butylphenyl)-2-methyl-2-propenylidene]-Malononitrile、カチオン化剤にNaTFAを選定し、劣化度の異なるParaloid B-72のTHF溶解試料(10 mg/mL)を高分解能Spiral-TOFMS装置 (JMS-S3000:JEOL)内に導入し、MALDI-MS測定を行った。解析にはKendrick Mass Defect(KMD)を用いた。
図11:MALDI-TOFMS分析結果のKMDプロット
未使用品は、KMD値0.1-0.6の間に規則性のあるプロット群を形成し、EMAとMAのユニット数7-14の化合物まで検出が確認された。劣化品でも同様の範囲にプロット群が形成されたが、プロット群は上下方向に乱れる傾向があり、また高分子側のプロットが消失していた。
C=Cの生成にはKMD値が0.017減少し、COHの生成には0.022上昇するため、前項までの検討による劣化機構の推定からも、劣化品のプロット群にはこれらの置換基を有する化合物が含まれている可能性が考えられた。
結言
本検討で試みた複合的なアプローチにより、低分子および高分子領域における合成樹脂の劣化による変化をより包括的に捉えることが可能であり、劣化機構を解明するために有用な手法であると期待できた。今後は、GC-TOFMS分析においてもMass Defect Plotを用いた解析を行い、高分子材料の複雑なパイログラムを迅速かつ詳細にキャラクタリゼーションを行えるよう検討したい。
[1] S. Okamoto, Applied ’21th National Symposium on Polymer Analysis and Characterization’
[2] S. Tsuge, N. Sonoda, Applied Comparative Analysis of Old and New “Paraloid B-72”
この内容は2018年高分子分析討論会で発表したものです。